東洋医学では「未病」の状態からその原因を考え、治療をするという考え方で診療を進めます。例えば、いつも寝坊をしない人が寝坊をした。という小さな出来事も、未だ病ならぬ病の始まりと考えます。問診・舌診・脈診などで、その人の状態、すなわち「証」を考え、漢方薬などを処方し、その効果から食養生や生活の修正点を考えて行きます。このときの治療指針の大原則は、自然の摂理を考えるということです。これは、僕の音楽の制作過程でも常に考えていることでもあり、世の中の法則を考えるときにも一貫している世界観です。

 

 「不調」という「症状」には「必ず原因がある」と考え、それを修正することができるうちに自分で修正することが、常に揺れ動いている「健康」や「美しさ」というものを維持していく方法です。今回のコロナ禍も、人類一人一人が自分で生活を修正することがもっとも大切なことです。緊急事態宣言の解除で、また元の世界に戻ってしまうことが、僕はとても心配です。

 

 今回のコロナ禍は、100年前のスペイン風邪と同様に、2021年の冬に第三波が来るところで集団免疫を獲得し、ウイルスとの共生が安定化する。というのが、僕の月並みな予想です。だからこそ、いまやるべきことは、人類全体がこの現象をどう考え、これからの生活様式をどのように修正していくのか。ということをしっかりと考えることです。これは東日本大震災の教訓から、私たちは何を学び・修正できたのか。ということとも関連して考えるべき問題だと思っています。いまは元に戻るのではなく、今回の教訓を踏まえて、大きく前進するべき時なのではないでしょうか。

 

 では、具体的には、どのように修正していけば良いのか。東洋医学的な思考プロセスで考えてみると、今回露呈された人類社会の問題(症状)、つまり自然の摂理からずれた部分に関しては、大きく3つのことがあげられると僕は考えています。

 

 ① 「水」の問題:(移動と規模)

 ② 「熱」の問題:(食と睡眠)

 ③ 「情報」の問題:(見えるものと見えないもの)

 

 今回は夏が近いこともあり、水の問題から考えていきたいと思います。

 

 まず、人体の6〜7割を占める水について、現代医学は何もわかっていないに等しいと言っても過言ではありません。その典型例が「熱中症」です。熱中症予防に飲水を!という言葉が風物詩になってしまい、国が冷たく冷えたアイスを用意するなんていう企画まで飛び出している状況です。ところが実際は、いわゆる健康世代(10歳〜50歳ぐらい)で、熱中症と診断される人の中には、血液データ上、脱水を示すデータの人はほとんどいません。むしろ、冷たい水やアイス・コーヒー・ビールといった不自然に冷やされたものを取りすぎた人が大半を占めています。もしも近年増えている熱中症(厳密には熱中症ではありません)が脱水によるものであるのならば、ここまで水分が取りやすく、これだけ水取れ水取れと言っている時代に、熱中症が増えていくはずがありません。現代は有史上、もっとも水分の取りやすい時代です。逆に言えば、だからこそ水不足などという問題が起こるのです。巷の熱中症の正体は、冷たい水により、気を産生する胃腸系(脾胃)が弱り、気虚やそれに伴う血虚の症状で実にうまく説明がつきます。

 

*気虚(動かす力の欠乏):頭痛・食欲低下・嘔吐・下痢など

 血虚(臓器の栄養欠乏):こむら返り・けいれん・不眠・不安など

 

 コロナ禍では、グローバリゼーションやモータリゼーションということが、人類の一つの大きな問題として露呈しました。自粛生活によって大気汚染があっという間に改善し、何十万人の命が救われ、不要不急な移動制限によって、あの地獄のような満員電車がなくなり、3月4月の自殺者数が2割減り、日本の交通事故も半減しました。移動し続け、拡大し続けなければならない!という状況を改善することが、人類の不調を改善するための第一歩となるでしょう。

 

 「水滞」という証があります。これは、水分の取りすぎや遅い時間の食生活によってもたらされる他、車や電車・飛行機といったテクノロジーによって距離を「移動すること」がもたらす不調でもあります。飛行機や車に乗って長距離を移動すると、何もしていないのにぐったりと疲れが出るのはこのためです。体内での水の流れが悪くなり、車酔い・鼻水・軟便・むくみ・寝起きの不調・頭痛・動悸・不安などが生じます。こういった症状は、五苓散(ごれいさん)という漢方薬で改善することができます。車酔いをしやすい人は、前日の夜からの水分や遅い時間の飲食を控え、五苓散を飲むことで車酔いや移動後の疲れが改善されます。

 

 水分量が60%の人体でもそれほどの影響が出るので、90%以上が水分である野菜などの食べものへの影響は、もっと大きいものです。「新鮮」なものは、採取してからの時間の長さのことを考える方が多いですが、実はそれ以上に、採れた場所からの移動距離が長くなると、食べもの内部の水の性質の変化が、時間による変化以上に進み、新鮮でなくなってしまいます。フランスの採れたての小麦を輸入して作ったパンより、現地で食べる少し時間の経った小麦で作られているパンのほうがおいしいのはそういうことです。時間よりも移動による水質変化ということが問題になってくるのです。水というのは生命にとって想像以上に大切なものなのです。

 

 「身土不二」という言葉がありますが、これは本来、その土地に生まれる食物は、その土地に生きる生物のために生まれて来るもので、夏には夏の心身に適したもの、冬には冬の、旬のものを摂ると良いという教えです。この言葉を現代版で考えると、「食土不二」採れたものは採れた場所で食べることが、自然の摂理に従った健康でおいしい食べ方ということが言えるでしょう。もっといえば、水そのものも、本当はその土地でとれたものを飲むことが良いことであることは言うまでもありません。

 

 この限られた地球という惑星の中で、拡大成長をし続けることは現実的に不可能です。それにも関わらず、成長、拡大を追い求め続ける人類はどこまで拡大して良いのでしょうか。その規模の問題は、その土地に生活する人間と水との関係にあると僕は考えています。

 

 今、アメリカのトウモロコシは99%以上が遺伝子組み換えのトウモロコシに変わり、その輸出によってアメリカの水が海外に移動し、アメリカのコーンベルトの地下水不足が懸念されるようになってきました。遺伝子操作で在来種を制圧した企業はいま、世界中の水の権利を獲得して、私物化しようという動きがあります。発展途上国の村で古来から使われていた井戸に、ある日突然、多国籍企業(ウォーターバロン)のメーターが付けられ、お金を払わなければ飲めないという状況が起こっているのです。人類共通のエネルギー資源である水や電気、あるいは生物の遺伝子といったものを、企業が私物化することはとても危険なことです。その問題を目の当たりにした国は、2011年に震災を経験したこの日本なのではないでしょうか。

 

 東日本大震災とコロナ禍の最大の違いは、「イデオロギー」の問題ではなく、「健康」の問題であることから、世界中で議論がなされている点です。こうした共通認識の中で、地球の不調を人類全体で考えられる機会は、そんなに多くありません。そうした意識改革を起こすことは、社会の上部構造からではなく、必ず下部構造から起こります。なぜなら上部構造にいる人たちは、今のシステムの中だからこそ上部構造にいられる人たちなので、あえてその構造を変えるためのリスクを負おうとはしないからです。医学にしてもそうです。西洋医学や科学の世界で地位を築いてきた人のほとんどは、自分に分からない漢方や自然の力を利用した医療を尊重することはあまりないのです。改革を期待するのであれば、社会や政府に期待するのではなく、まずは目の前の自分自身の生活からひとつひとつ変えていくことが、一番の近道なのです。

 

 検査の専門家たちは、まだ治療も開発されていないのに、検査検査!というのは徒労に終わる可能性があります。検査が必要な段階は、感染者が少数であり、隔離という対策を取れるパンデミックの初期段階にとるべき対策です。新型コロナウイルスに関しては、随分前にその段階は終了しています。今の段階で定数をいくら把握しても、新型コロナウイルスの撲滅などは不可能でしょう。そんなことをしようとする前に、人類がやるべき根本的なことはもっとたくさんあります。科学的な根拠もないマスクを税金つかって配ってる場合じゃありません。コロナ禍をウイルスの問題だけだと考え、表面的な対策に没頭してしまうことは、対症療法に専念する現代の医療思想と酷似しています。問題(症状)の本質は、もっと深いところにあるのではないでしょうか。