アートの効用その2 考えるよりも行動すること

 

 人間の苦しみはすべて、未来を不安に思うことか、過去を悔いることからしか生まれません。つまり、思考の時間軸の長さが、人間の苦しみを生み出す要因なのです。だから、単純に言うと、思考の長さを現在のみに集中することができれば、人間はその瞬間にすべての苦悩から解放されるのです。瞑想やヨーガの目的は、思考を止滅させることにあります。

 

 思考が悩みを生み出す根本には、「正しさ」という幻想があり、それは「情報」によって、他者との比較や、自分自身の正しさというものを設定してしまうことにあります。もちろん、社会性動物である人間にとって、「情報」というものはとても大切なものです。ところが、その情報が膨れ上がりすぎて、現実に起こっている真理を直感的に感じとる「野性」を失ってしまうと、判断の根拠がすべて「情報」になってしまうため、「情報」に支配されてしまうことになる。ということはこれまでに書いてきました。つまり、正しさはすべて情報の中にあると考えるようになるため、人間には「わからないことがある」という不安にマスクをして謙虚さを失い傲慢になってしまう。という法則があるのです。

 

 うつ病という病は、何もする気力が湧かないという状態のことを指します。「うつ」という感情には、生物学的な意味があります。それは「いま自分が行なっている行動を、一度止めて考え直す時間を与える」というものです。例としては、サルの集団内で、ボスザルが変わる時、争いに負けたボスザルは、一度うつ状態になります。それはその集団にとって、無駄な争いを避けるという生物学的な意味があるのです。

 

 「うつ」という感情は、無駄なことをし続けないためには必要不可欠な感情です。それが少しであれば、当の本人にとって有益な感情なのですが、その感情が当の本人にさえ制御不能なほどまでに膨れ上がってしまうと、それは社会生活を妨げる病となってしまいます。けれど「うつ病」を治すことは、理論的にはとても簡単なのです。

 

 「うつ病」を体験したことのない人は、ややもすると「うつ病」=「怠けもの」=「根性なし」という誤解を抱きますが、ひとつだけ断言できることは、根性がなかったら、人は決して「うつ病」にはなりません。なぜなら「うつ病」は、健康な人であればさすがに疲れて、「もう考えるのやーめた」とか「まいっか」「だいたいなんとかなる」と、考えることをやめるからなのです。つまりいつまでたってもしつこく考え続ける根性がある人だけが、その感情を制御できなくなるまでに、思考から生まれる苦しみを保持できるからなのです。

 

 パブロ・ピカソは、ある日こう言いました。「描きたいものは、描いてみるまでわからない」。僕自身も、高校2年生のときに作曲を始めてからこれまで、つくりはじめる前に考えていた通りの音楽ができあがったことは、一度たりともありません。これは会話にしても文章にしてもそうです。カウンセリングというのは、カウンセラーが正解を教えるものではありません。患者さんがカウンセラーに自分の言葉で話しているうちに、自分で正解にたどりつくのです。僕も文章を書き始める前は、書き上がる文章とは少し違うことを考えています。文章を書き始める前は、いろいろなことを考えていて、実際に文章を書いているうちに、自分の中に漠然とあった「書きたかったこと」が生まれてきて、わかってくるのです。この連載も、始めさせていただいた当初は、こんな連載になっていくなんて予想だにしませんでした。けれど、それだから創作や表現というものは面白いのです。

 

 これはスポーツにしても同じことが言えます。サッカー選手がゴールを決めたとき、日常ではあり得ないほど歓喜の雄叫びをあげていることがありますよね。じつはあれは、自分自身が考えてもみなかったようなゴールを決めてしまったことに驚いているのです。考えた通りに決まるようなゴールは面白くないのです。ファンタジスタは予想外のゴールを決めるサッカーのアーティストに授けられる称号です。自分では想像すらしなかったことが起こる。それは、創作にしてもスポーツにしても、人間が絶え間なくその行為を続ける原動力なのです。

 

 「描きたいことは、描くまでわからない」それは、アートを通じて、人間の思考の限界を実際の行動を通じて感じたことなのです。子どものころからそんな体験を続けていると、考えていても進まないから、まずは形にするために動いてみよう。そんな習慣が身につくのではないでしょうか。