アートの効用その3 正解がないということを知ること

 

 食養生の大原則は「正解がない」ということだと繰り返し書いて来ましたが、この法則は世の中のすべてのことにあてはまると僕は感じています。そう感じるようになれたのは、医学部に行って授業を受けたからでも、書物を読み漁ったからでもありません。音楽をつくって喜んだり悩んだり、医療の中でアートの重要性を感じた実体験があるからです。

 

 医者なのになんで音楽を続けているの?と質問されることがあります。僕自身は楽しいからと思って続けてきましたが、最近よく思うのは、僕は「世の中のしくみ」を知ることに興味があるのだということです。医学も音楽も世の中のしくみを知るという共通点があります。特に東洋医学は、ある法則性の中でバランスを整えるということが共通しています。例えば、一つの音に対しても、高音や低音のバランスを調整すること(イコライジング)は、漢方で、その人の体内にある気血水や熱のバランスを調整するのと似ています。精神で言えば、緊張と弛緩のバランス、「べき・ねば」と「たい・いい」のバランスを言葉で調整します。西洋医学の世界で生活していたころは、医療の現場がサイエンスに偏っていたので、家に帰って音楽の世界のアートの側面に触れて、僕自身の精神バランスをとっていたようにも思います。

 

 西洋医学の世界にいると、人間のすべては物質だけで説明できるような錯覚に陥ることがあります。西洋薬はものの見事に目の前の人体現象を変えることができたので、救急医療にたずさわっていた頃は、恥ずかしながら、どんな病気でも治せるような感覚になっていた時が少なからずありました。ところが、目の前の危機を回避することはできても、本当の意味での治癒は、化学物質だけでは実現できないことを痛感しました。救急治療室にいる人工心肺につながれた人が並んでいるのを見ると、当面の命を救うこと、延命をすることだけが、良い医療であるとは限らないことも感じました。さらに科学の研究をしているときは、科学の脆弱性に気づきました。

 

 正解というものがあるとされる科学的な医療に比べて、音楽には正解というものがあまり明確ではありません。どうしたら良い音楽がつくれるのか、良いと思っていた音楽が悪いものだ感じるようになったり、不快だと思っていた音楽がじつは素晴らしい音楽だったことに気づいたり、ずっと良い音楽であり続ける音楽があったりと、いまだにその謎は解明されていませんが、だからこそ音楽を続けているし、面白いのだと思っています。

 

 「良い音楽が売れている音楽だとしたら、世の中で一番良い食べものはカップラーメンになる。」とブルーハーツの甲本ヒロトさんが言っていました。芸術の世界では、良いものということがとても曖昧で、正解のないものだということを痛感します。

 

 人間の意識が無意識という氷山の一角でしかないというフロイトの言葉の通り、自分自身で制御していると思い込んでいる自分の意識ですら、「わからないこと」だらけなのです。アートを通じて、創作を続けていると、世の中の法則を見出そうとしてあれこれと考えるのですが、結局「わからない」。これはきっとサイエンスの世界も一緒で、僕が所属していた研究室の先輩である野口英世の最後の言葉は、「私にはわからない」でした。

 

 どんな分野にいても、能動的な作業をしていると、サイエンスによる情報や、自分自身が経験した法則だけでは、世の中を理解することは難しい局面にぶつかります。けれど、考えているだけのときよりも、対話が生まれることによって、ずっと前に進むことができるのです。お手紙でも鼻歌でもお絵かきでも、その表現形態は何でもよいのですが、動いて形にすること。作品を通じて社会とコミュニケーションをとること。そこで体感するわからなかったことの一部がわかるようになること。考えて解決すると思いがちな人間が、動いてみることで初めてわかることがある。ということも、アートの効用のひとつなのではないでしょうか。