どんな人との出会いも別れも、ひとつひとつのすべてが尊く、そこに差があるわけではないと思って医療に携わりながら生きています。ただただ、幾多の出会いの中でも、人生を変えるような不思議な出会いというのがたまにあります。僕の人生の中でも、特に影響を受けた人との出会いとして、坂本龍一さんとの出会いがありました。
CoreyFullerという日本在住のアメリカ人の友達と「ILLUHA(イルハ)」という音楽ユニットを、ニューヨークの12Kというレコード会社からリリースをしています。これまでに5つの作品がリリースされていて、その1作品が坂本龍一さんとTaylorDeupreeとILLUHAという4人でつくった作品です。iTunesやspotifyだと聞けないのですが、Bandcampだと全曲聴けます(https://tomoyoshidate.work/music/illuha/perpetual/)。僕はこのとき、コンタクトマイクをつかってガサゴソカチカチッみたいなノイズを出したり、足踏みオルガンを演奏しました。
このアルバムに収録された音源は、2013年の7月26日に、山口県のYCAM(山口情報芸術センター)で演奏されたときの録音です。エンジニアはフィッシュマンズ、Buffalo Daughterなどのバンドで活躍されているのZAKさんでした。演奏の後に、Taylorがパラアウトされた音源(一人一人の音がバラバラに録音されているトラックごとの録音)のミックスをしようとしたのですが、結局その時にリアルタイムでZAKさんがミックスをしてくれたライブミックスが一番良いということで、ステレオ録音されたそのままの音源がリリースされました。YCAMの音楽監修を坂本さんがされていて、その10周年を祝うセレモニーのオープニングとして、坂本さんとTaylor、そしてILLUHAの二人という4人で演奏をしました。演奏中は不思議とリラックスできて、すごく楽しい演奏だったのですが、このときの録音を特に坂本さんが気に入って、CDとしてリリースされることになりました。
当時、僕は救急医として手術をよくしていた時代でした。この演奏の前夜と演奏後に、坂本さんと高谷史郎さん、YCAMの阿部さんと僕らで食事をして盛り上がって、二次会にも行ったのですが、いま思うと結構ないなっていうぐらい僕は酩酊してしまい、出会った初日から坂本さんに腕組みとかしてたら、「君の手術だけは本当に受けたくないね。」と笑いながら突っ込まれて、優しい人だなぁと妙に嬉しかったのを覚えています。
それから数年にわたって何度か、定期的にお会いするようになって、いろんなことを教わりました。実はこのコンサートの事前の打ち合わせで、坂本さんがプロデュースした特殊なピアノが、YCAMに二台あることを聞いて、「坂本さんと演奏をするなら、僕もピアノを弾きたい!」と言ったら、びっくりするぐらいいろんな人から、「それだけはやめたほうがいい」と説得され、「ジミヘンと共演するなら俺はギターを弾く!」なんて言いながら粘ったのですが、あまりにみんながやめてくれというので、演奏する楽器を足踏みオルガンにしたました。
ところが、どういうわけだかその経緯を、演奏のだいぶ後に坂本さんが知ってしまったらしく、その話になったときに、「やってみたら面白かったのにね」と笑顔で言われました。僕が楽譜すら読めないピアニストであることは知っていたのに、そんな僕に対して面白いと言ってくれるような気さくで温かい方でした。その後、このアルバムの3曲目が、某ハリウッド映画の音楽として使用されることになり、契約書までサインしたのですが、公開直前に変更になってしまい収録されませんでした。残念ではありましたが、坂本さん自身がこのアルバムを気に入ってくれて、音源がリリースされたということは、とても嬉しいとともに、不思議な気分になります。
音楽以外にも食養生などのいろいろな話をして、語り尽くせない思い出もたくさんあるのですが、いつお会いしても、特に印象的だったのが、音楽を本当に好きな方だったということです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、音楽家でも普段はあまり音楽を聴かない人、音楽の話が会話にあんまり出てこない人もいます。僕自身は音楽家の中では音楽を聞くよりもつくることのほうが好きなほうなのですが、坂本さんはコンサートの合間でも、暇さえあれば音楽を聴く方で、ZAKさん曰く「下手な音楽好きよりよっぽど音楽が好きやで」というぐらい、新旧問わず、音楽をいつも聴かれている方でした。僕が紹介したTomokoSauvageさんの音源は、お話した翌日にご自身の本名でレコードを買って、教えてくれた音楽は素晴らしかった!とメールをくれたりして、坂本さんのレコード購入を知ったTomokoさんが「伊達くんでしょ!」と、喜んでメールをくれたりしたこともありました。とにかく、恐れ入るほど常に音楽を探し続けている、研究熱心な方でした。
音楽の話をするときは、特に楽しそうで、日本のレストランの音楽環境をどうにかできないのか。という話で意気投合したことがありました。しばらくして、New york timesに坂本さんがレストランのために作成したプレイリストが掲載されたときには、僕のもう一つやっている音楽ユニットOpitopeの相方でもあるChiheiHatakeyamaの曲が入ったりしていて、そんなとこまでちゃんと聴いてるんだぁと恐れ入ったことがあります。「Chiheiの音楽は、朝の運動をするときによく聴いてる」と言っていました。ILLUHAの新作もリリースされるといち早く聴いてくださっていて、いい作品だったよ。と声をかけてくれたこともありました。
坂本さんと実際にお会いできたのは、10年弱のうちの4、5年ぐらいのお付き合いでしかありませんでしたが、僕らだけでなく、いつも多くの若者の音楽を聴いて、励ましてくれることがとても多い方でした。日本を代表する世界的な音楽家の一言一言が、どれだけの若い音楽家を励ましてきたのかは計り知れません。僕自身も坂本さんとの出会いによって音楽だけでなく、人生においても大きな影響を受けました。前述の畠山くんも、坂本さんのプレイリストには本当に勇気付けられたと思います。僕の両親も、僕が医者をやりながら音楽を続けていることを認めてくれたのには、山口での共演が大きかったことは間違いありません。聴覚が幼少期から繊細だったらしく、金属音や騒音が苦手で、MRI検査のときにヘッドホンをつけられたら、ひどい音楽が流れ続けて逆に苦痛だった。という笑い話をした後にぽろっと、「ILLUHAみたいな綺麗な音楽だったらいいんだけどね」と言ってくれたりして、名もない僕らの音楽にとって、坂本さんの何気ない一言が、どれだけ励みになったことか、思い返すだけでただただ頭が下がります。
音楽家の親友がそんなに多いほうではない僕でも、ニューヨーク時代にご近所で仲の良かったKenIkedaさんや、晩年のエンジニアをされていたzAkさんといった、今でも仲良くさせてもらっている数少ない音楽家ともつながっていて、個人的には不思議な縁のあった、本当にお世話になった音楽の大先輩です。今回の訃報をお聞きし、とても悲しく、寂しい気持ちでいます。ただ、人間は生まれたからには必ず死にます。僕もそんなに遠からぬ未来に必ず死を迎え、少なくとも物質的には土に帰っていきます。宇宙史上から言えば、どんな人の人生も一瞬の瞬きでしかありません。人の人生が長い短いということを、どうしても考えてしまいやすいものですが、誰にとってもたった一つの自分だけの人生です。その長さを他者と比較するよりも、その人がどう生きて、どう死んでいくのか。ということのほうが、僕は大切だと思っています。
コロナ禍以降、あまり連絡をとることがなくなってしまいましたが、昨年12月に演奏された、「最後の演奏になるかもしれない」と言われた映像作品を見て、とても感動しました。力なく弾かれる鍵盤から、音楽や人類、地球そのものに注がれる優しさのようなものを感じ、その音の素晴らしさに、日本だけでなく人類を代表する音楽家として、最後の最後まで音楽に携わっていかれるその生き様に、身の引き締まる思いがしました。坂本さんの作品を制作中だったzAkさんが成田の自宅に遊びに来たとき、その感動を坂本さんに連絡するかどうか迷ってると話したら、「身内からの連絡って結構嬉しいもんやからした方がええでぇ」なんて言われていたのですが、体調も優れないなか、僕ごときの感想を読むために時間を割かせるなんておこがましいんじゃないか。と迷い続けたまま、訃報をの知らせを聞くことになってしまいました。世界中の人が耳にした最後の演奏が、どれだけの人を勇気付けたのかを想像すると、坂本さんの音楽人生の偉大さを感じずにはいられません。
坂本さんとの個人的な思い出ばかりになってしまいましたが、坂本さんの音楽好きで若者を励まし続けた、唯一無二の人生に、心から敬意を抱いております。もし生まれ変わることがあって、またお会いできることがあるのなら、今度はピアノのデュオを、誠実な気持ちでお願いしようと思っています。本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。数奇な運命の元に生まれ、とても忙しい生涯だったと思います。肉体の制限から解き放たれ、そのエネルギーはまた大きくなっている気がします。心よりご冥福をお祈りいたします。