2023年 あけましておめでとうございます。
大晦日の夜、テレビのない我が家は実家の母屋に集って紅白をみて過ごす。当直をして年末年始を病院で過ごすことをしなくなって8年目。一年間の総集編的に日本のトレンドを勉強する一大イベントだったのですが、去年あたりから、やっぱりテレビ見て年を越すのもどうかなぁ。。。と、家族の中で僕だけスタジオに籠って音楽をする。という状態になってしまった。今年の紅白は一秒も見ずに、年明け15分前までどっぷり音楽をつくっていました。もちろん僕も、紅白を楽しみにする年頃になった娘二人を説得することもなく、お互いに自由に過ごそうと思ってるけど、一方で身勝手な父親を咎めることもなく、「パパは何言っても聞かないから」と、僕の挙動を諦めて、そのまま放置してくれることが家族のコンセンサスになっていることに、愛という許しを感じて嬉しく年を越しました。
月がきれいだったので、初月を見ながら恒例の元旦の計を考えていると、冬の大三角の真ん中、ペテルギウスとシリウスの真ん中を、サァーっと流れ星が!
流れる間に願い事を三回は唱えられなかったけど、今年の抱負を考えていたので、ちょっと興奮。今年の計に少しでも近づけるといいなぁ。
今年の抱負は、自分の正義に導こうとしない。
いつもと変わらず、怒りから自由になること。僕がいう「怒り」は、すべてのネガティブな感情で、他者への怒りはもちろん、自己嫌悪、虚無感、抑うつ、不安、、、そういったものに囚われる時間をなくしたい。その先に「解脱」がある。こういうと新興宗教っぽいけど、既知からの自由というクリシュナムルティの思想が僕の根底にはあります。
去年の元旦に読み始めた1日一話で365日分の『四季の瞑想』。折に触れて読んでたけど、結局今年の元旦には6月25日の「自分が凶暴であることを悟る」でした。
去年のつゆくさ医院のブログを見ると、ほとんどワクチンとマスク。、、もちろん、「必要ない・危ない」ということを伝えたいし、ワクチンの犠牲者を見るのがつらいという気持ちはあったけど、ワクチンのことを考えるとネガティブな感情になることは間違いなく、それは「怒り」であり、他者を自分の正義へ導こうとする「暴力」だったと自覚しました。ずっと自覚はあったんだけど、それを明確にしました。
身近な他人への怒りからはだいぶ解放されてきたけど、まだまだ、「怒り」に囚われている自分の愚かさに辟易としつつ、今年はもう少し、コロナより大切なことを考えよう。自分の正義を他者へ押しつけて、他者を自分の中の正義へと導こうとしない。これが今年の抱負かなぁと考えていた矢先に、流れ星が流れました。今年はもう、ワクチンのことは話しません。もう十分書いた。ワクチン研究を6年で挫折した僕は、もうワクチンの専門家というよりは素人です。もっと違うことに意識を向けようと思います。
星や月を見ることが、僕は年々好きになっていきます。最初は研修医のころ、大学という小さな世界で、怒られたり悩んだりして落ち込むと、一番明るいシリウスでも約9光年。一秒に地球を7周半のスピードで進んで9年も前に出た光を見ている。そう考えると、自分の悩みはなんて小さいことか。と、一度落ち込みを流せたからです。
そんな宇宙のことを考えていると、僕は世の中を理解しきることなんてできない。ましてや、自分の子どものことでさえ、僕は半分も理解できていない。自分の親は自分をどれぐらい理解しているのか。と言えば、3割も理解してないだろうなぁと思う。逆に僕も親のことを3割も理解してないんだと思う。自分自身のことも半分も理解できていない。たまにしか会えない友達や患者さんのことなんか、1割も理解できてないに違いない。そんな理解できない人たちに、僕は自分の思想を伝えることを生業としているなんて、不思議なことだなぁとつくづく思う。だから、理解もできない人や自分に、無理矢理自分の考える正しさを伝えて導こうとするのを、もっと徹底的にやめようというのが、今年の抱負です。今年はもっと面白いことを気軽に書きます。読んで面白いと思う人が読んでくれればいいし、つまらない人は読まないでください。僕は好きな音を鳴らして、好きなことを書きます。せっかくの人生ですし、分かち合える方がいらしたら、分かち合えたら嬉しいです。
おかげさまで、つゆくさ医院もはや9年目です。鈴木大拙のいう「妨害なき相互浸透」を胸に、今年も僕は自分の思うこと、感じることを伝えていきます。僕は誰かの「ために」医療をしているわけでなく、自分が知っている伝えたいことを伝えて、それを健康という快楽を通じて「分かち合う」ことができたときの喜びを得ることが好きで仕事をしています。ちょっと二日酔いだったり寝不足だったりして不機嫌になると、すぐに他人を自分の考える「正しさ」に導こうとしてしまう悪癖が僕にはあります。世の中は理解し得ないし、他人を理解できるとは思っていません。でも、ほんの少しの部分でも「分かち合える」ということは、生きている喜びです。今年はもう少し多くの人と「分かち合える」ことを目標として(目的ではありません)、怒りではなく、喜びを原動力として発信していければいいなと思っています。
本年もよろしくお願いいたします。