適切な医療の選択のために、より具体的に西洋薬と漢方薬の違いについて考えてみましょう。

 

 西洋薬と漢方薬のひとつの違いは、「あるものをなくす」か、「ないものを生み出す」か。という違いです。もっと単純に言えば、西洋薬はそのほとんどが、すでにある症状や検査上の異常値を一時的に薬や手術によって消すための「対症療法」という治療です。多くの場合は西洋薬そのものが、症状を発生させている最終物質だけを消したり減らしたりするだけなので、その症状が出ている体質や生活などの原因に対する根本的な治療はしていません。そのため、その症状の原因となっている食事や睡眠を改善するということを行わないままに、長期的な対症療法をし続けていると、原因はどんどんと大きくなり、他の病を引き起こしてしまうのです。

 

 一方の漢方薬は、生薬に接した自分の免疫細胞が反応し、そこから全身に指令を出して症状を治すと考えられています。薬を用いて症状を治すので、広い意味では西洋薬と同じ対症療法とも言えますが、西洋薬とのもっとも大きな違いは、症状を直接的に治すものが、薬そのものに含まれる物質ではなく、生薬に反応した「自分自身の免疫細胞」が動いて治すために、その免疫を記憶したり、腸内細菌やウイルスの質・量的なバランスが変化して体質が変わっていきます。さらに効果のあった薬の種類によって、その原因となっている生活の「改善方法がわかる」という点が、西洋薬と漢方薬の大きな違いです。

 

 例えば、頭痛に対して西洋薬の鎮痛薬を内服すると、その成分が直接、プロスタグランジンなどの科学的に同定されている痛み物質の産生を妨害して、痛みという症状を消しています。ところが、痛みを出しているその原因に対しては、何も根本的な治療ができていません。さらに、どうしてその痛みが出ているのか、どうしたらその痛みが出なくなるのか。ということについては、何もわからないままなのです。このような治療を、症状だけをとるための「対症療法」と呼びます。痛みの原因が自己治癒力で自然に解決しない限り、からだはメッセージである症状を再び出し続けることになるだけでなく、無理矢理押さえつけられているそのシグナルはどんどん強くなり、薬の内服が長期化し、増量されていきます。さらに、症状を抑えるための薬による副作用が出始めるようになってしまい、新たな病を呼びおこします。こうして薬がどんどんと増えていくのです。

 

 西洋医学は、科学研究によって可視化された「部分」を見て行く医学なので、症状をひきおこしている最終物質(頭痛なら頭痛部位で産生されているプロスタグランジンなどの痛みの物質、花粉症で言えば鼻腔粘膜でのヒスタミンなど)の同定・解明からはじまり、その最終物質を制御する対症療法薬が最初に開発されます。そこから研究が進んでいくと、徐々に徐々にとその最終物質が産生されてしまう「原因」の方向へと進むのですが、400年程度の歴史しかない西洋医学では、残念ながら人体の表面的な部分までしかその解明が進んでいません。

 

 結果である症状とその原因となる最終物質のみを対処するので、「症状」を取り去ることは得意なのですが、その症状を生じさせた根本的な「原因」にまで到達して、それを治すことはなかなかできないのが西洋医学なのです。心身の「全体」を調整するのではなく、ひとつの症状に対して、ひとつの薬という「部分」に対する処方になってしまうのです。

 

 ですから、本来は西洋医学のような対症療法薬は一時的にのみ使用するべき薬なのです。逆に一時的に使用するのであれば、それは漢方治療よりもはるかに強力で即効性のある有益な治療法なのです。やみくもに西洋医学を否定することはまったくありません。適切に使用する知識と警戒心を持って用いれば、健康の獲得のためには、とても有用な医学なのです。

 

 一方の漢方薬は、ひとつの「症状」に対して、いくつもの「原因」を考え、「原因」そのものから治療をしていきます。例えば、頭痛であれば、その時間帯や場所、痛み方の性状、便通・睡眠・精神の状態から、その原因が水のたまり(水滞:スイタイ)や、血流の悪さ(瘀血:オケツ)、気力低下(気虚:キキョ)、ストレス(肝気鬱結:カンキウッケツ)など、様々な原因の中からその人の証(心身の状態)を診断して、それに対応した漢方薬を処方します。つまり、頭痛の症状を治療しているのですが、同時に全身のバランスを治しているので、気付いたら便秘や冷え性も同時に治っているということはよくあることで、それこそが漢方治療が目指す全体的な治療なのです。