自然界の動物は、病になると自分の味覚と嗅覚を使って、自分の食べるべきものを探してそれを摂取します。そうした自分の体をつくるものの選択、つまり命の選択を、「好き」「嫌い」という感覚に基づいて行なって生きています。これは動物として生きるために重要な「野性」です。人間でも子どもはこの野性を持っています。特に発達障がいと言われるような子どもは強くこの性質を持っています。漢方薬の味に関しても敏感なので、僕の処方は子どもの感覚を最重要視して処方を考えています。一方で風邪などの不調があれば、普段飲まない漢方薬も飲んでくれるのは、子どもの「野性」を感じる瞬間です。
「仕事が楽しいとか楽しくないとか、そういうことはもう考えないようにした」という患者さんが少なくありません。現代社会、特に日本では、「社会人」=「好きなことをやらずに、嫌いなことを我慢してやり続けられる人」というような「感覚停止」のプログラムが、暗黙のうちに浸透しています。自然界でこうした生き方をする動物は死んでしまいます。人間は自然界の中で、嫌いなことをやり続けることのできる唯一の生きものです。
これまでに書いてきたように「正解」というものは個人の中にあるものなので、「野性」とは「正解」の最終的な判断材料にすべき自分の感覚です。それを失うと「文字情報」に頼ることになり、「情報」に支配されることになります。自分の正解は違うというメッセージを心身が出していても、情報にしばられ適切な選択をすることができなくなり、健康を失っていきます。
例えば、科学的根拠に基づいた西洋薬にしても、すべての人に有効な訳ではありません。とてもよく効く西洋薬でも、有効率は90%。10人に1人は効きません。自分がその1人なのかどうかは、自分の感覚に頼らなければ、実際のところはわかりません。つまり、どんなに多くの人に効果があったとしても、それが自分にとってどうであるかを、本当の意味で判断するのは、自分自身の「野性」を最後の拠りどころにする習慣を持つことは、忘れてはならない大切なことなのです。
もちろん「情報」は重要です。けれども今の情報社会は、ネットの匿名性もあいまって、無責任な誤情報も溢れかえっています。特に以前お話した水の例は典型的なものです。抑圧的な社会生活を送って「感覚停止」のプログラムが慢性化してくると、自分自身の「野性」が鈍り、実際に起こっている目の前の事実や、自分の感覚に判断を仰ぐことができなくなってしまうのです。
日々、直感を鍛えることは、とても大切なことです。特に、感覚抑制を要求されがちな現代社会に生きのびていくには、好き嫌いの感覚を鍛えることがとても重要です。人間の能力がこれまで以上に細分化され、情報が溢れかえる社会において、「社会性」と「野性」のバランスを保つことは、人間の命の選択にとって、これまで以上に重要な要素になってきます。