「ムダ」とはなにか。本来、ムダというのはその人の観念が設定するもので、この世の中に実存するものではありません。陰陽の法則から考えれば、ムダという観念は常に存在し移ろいゆくものです。いま起きているパラダイムシフトは、その観念の基準となる軸が大きく揺らぎ始めているということです

 音楽やヨーガなどに集中をしようとするとき、座ったり目を閉じたりすることで、考えることや可能な限りのムダな感覚を抑制し、普段は意識を向けない呼吸や姿勢などに気を向けます。人間は何らかの合目的的行為をするときには、脳内に入る情報や思考の範囲を限定することで、その行為への集中力を向上させるのです。これと同じく、何かの社会集団やシステムに所属して、その目的を達成するための合目的的行為をしていると、そのシステム法則の中だけで思考を巡らせ、他の世界やシステムへの思考や俯瞰した視点を抑制することで、社会性動物として生存しやすくなります。

 多くの小学生は、「先生」という存在が、絶対神のように感じて生活をしています。先生がダメと言うからダメ。と、そのシステムのことを無条件に信じてしまいます。ところがひとたび外部の社会集団に所属すると、先生という存在が絶対的なものではないことに気づき、大人になっていきます。僕自身も、無意識のうちに制限されているシステムの思考回路から離れて思考を巡らせるために、無駄な時間を大切にしています。音楽を今も続けているのは、大学や大病院というシステムの中で働いていたときに、そのシステムから一度離れられることの重要性を、直感的に感じ取っていたからです。

 大学の研究室というものは、科学的手法に特化された場所なので、再現性のあるもの以外の現象には、あまり価値を見出さないシステムです。けれど、実際の医療の現場は、一期一会の世界です。特に漢方薬のような毎年変化する自然の産物や、瞬間ごとに移ろいゆく音楽の世界は、科学的な再現性が乏しく、むしろ旬の野菜がおいしいのと同じように、その一回性や、刻一刻と変化する環境に対応して変化していくことにこそ、大きな意味があることを実感できる時間でした。そうした再現性のないことの重要性を感じる時間を持つことで、再現性だけを求める大学のシステムから一度切り離され、再現性の重要性を再確認できるとともに、自分本来の感覚や考えを巡らせる時間も持つことができたからでした。上司からは音楽なんて「ムダ」だと言われましたが、僕にとっては、凝り固まった価値観でいる上司と話す時間のほうが「ムダ」だったのかもしれません。逆に僕の生きる目的が、大学というシステムに適していれば、僕にとっても音楽は「ムダ」なもので、僕のいまの医療も大きく変わっていたと思います。

 「目的」を持った行為は、その社会システムから逸脱したもの、つまりそれまでそのシステムにいる誰もが気づかなかったようなイノベーションの発動を抑制します。現状のシステムにとって「ムダ」だと思われる時間にこそ、革新的な発想は生まれるものです。僕らの子どもたちが、より良い世界を想像し、創造していくためには、現存の経済や学術的評価基準に組み込まれていない「ムダ」な時間と場所が必要なのです。

 生物学的な観点からも、「ムダ」のある社会のほうが、その集団が存続するための予備能力が高いと考えられます。例えば「働きアリの法則」というご存知の方も多いであろう生物学の話があります。社会性動物であるアリの社会は、すごく働くアリ:普通に働くアリ:全然働かないアリ=2:6:2になる法則です。すべてではないでしょうが、アリの社会では、すごく働くアリが、その社会の収益の8割程度の仕事を担っているそうです。その社会集団から、すごく働く2割のアリを取り除くと、残された8割のアリのうちの2割が、すごく働くアリに変貌して、また2:6:2の社会集団に戻るという法則です。

 医者の世界も本当にそうで、「あの病院は良い」とか「良くない」とかいう話を聞くと、「どこの病院にも、良い医者もいれば、悪い医者も必ずいるんだけどなぁ」とよく思います。人間社会も比率の差異はあるものの、良い医師は2割ぐらいだと感じます。当直や学会などでその2割がいなくなると、不思議と誰かが良い先生に変貌する。ただし、仕事をしていない状態の、それまでムダであった医師がいるときに限られます。つまり、社会というものは無駄な部分があればあるほど、緊急事態に対応可能な予備能力が高い社会のほうが、より成熟した社会なのです。

 コロナ禍に至っても、人類が重きを置いているのは経済です。アートやコミュニケーションといった経済的な無駄が排除されたことで、一層のこと無駄の重要性を感じている方も多いのではないでしょうか。これから生まれる新しいシステムの中で、子どもたちが、経済的にムダな時間の営みの中で感じ取っていくことこそが、子どもたちの未来にとって必要なイノベーションの礎を築いていきます。無駄なことを、たくさんさせてあげてください。既存のシステムに包囲包囲されている大人からすると、まったく意味のわからないムダなことを続けている子どもたちにこそ、次の未来を切り開いていく可能性があるのです。