「からだ」と「こころ」の陰陽トロピー
人間は物質でできた「からだ」と物質ではない「こころ」の二つを持ち、それぞれがそれぞれの法則性の中で関係し合いながら生きています。その関係性を東洋思想の「陰陽の法則」から考えるとわかりやすいのですが、5000年前の伝説上の皇帝、伏犧(フッギ)が発見したという「陰陽の法則」には、成書があるわけでもなく、さまざまな人によって伝えられたものであるために、諸説あって混乱しているのが現状です。例えば、マクロビオティックの桜沢さんは、だいぶ個性的な解釈をしています(日本の混乱の多くはそこにある気がしています)。そこで、ここでは、「陰陽の法則」と「エントロピー増大の法則」という物理学の法則を合わせた「陰陽トロピー」という独自の概念で話を進めてみたいと思います。この概念を知ると、その時々に合わせたからだとこころ、あるいは、病と健康、西洋薬と漢方薬、そしてアートの役割がわかりやすくなると思います。
エントロピー増大の法則
煙が発生すると、その煙は拡散しつづけていきます。万物流転、諸行無常、栄枯盛衰。この世の森羅万象は、自然のあるがままだと、拡散し続け、無秩序になっていき、変化しないものはない。この物理法則のことを、「エントロピー増大の法則」といいます。「エントロピー」とは、「無秩序な度合」のことで、無秩序になるほどエントロピーは高くなり、そのポテンシャル(仕事をする潜在能力)は低くなります。外から故意に仕事を加えてやらない限り、そのエントロピーを減らすことはできない。という法則です。
中国の陰陽論では、拡散する働きを「陽」、収縮する働きを「陰」とすることから、これからは、拡散・無秩序(エントロピー増大)・目で見えない方に向かうエネルギーを「陽トロピー」、収縮・秩序(エントロピー減少)・目で見える方向に向かうエネルギーを「陰トロピー」と呼ぶことにします。つまり、物理法則のエントロピーは陰陽論における陽トロピーと同じと考えてください。物質が無秩序になっていくエネルギーは「陽トロピー」です。
からだは陰トロピーを欲する
物質である「からだ」は、食事も呼吸も拍動もせずに、自然のあるがままにしておくと、「陽トロピー」によってバラバラ(無秩序)になっていき、「死」や腐敗へと向かってしまいます。そのため「からだ」は「陰トロピー」な活動、つまり物質を細分化し、秩序や新鮮さを回復する食事や呼吸などの生命活動を行なう必要があります。この「陰トロピー」が高くなるほど高まる「からだ」のポテンシャル(仕事をする潜在能力)が高くなることを、東洋医学では「気」と呼びます。やる気・元気の「気」は、肺と脾(胃腸)がつくりだす。つまり、呼吸と食事という陰トロピーな生命活動が「気」をつくりだすのです。
例えば、食事という過程は、植物などの「部分」をトリミングし、それを調理し、咀嚼し、腸内細菌が分解して、腸内細胞がそのうちの必要な成分だけを吸収し、最終的には細胞という秩序だった配列に再構成(陰トロピー)します。物質界には陽トロピーの増大という法則があるため、「からだ」は、陰トロピーな生命活動をすることで生きることができるのです。つまり、「陰トロピー」というのは、物質的な「生命力」と呼ぶこともできます。呼吸もまた、体内の状態(酸素・二酸化炭素など)を吸収・排泄し、新鮮な状態に再編成していく陰トロピーな生命活動です。東洋医学では、主に腎臓が「陰」をつくりだすと考えられており、「陰」は幼少期から増え、更年期以降に減っていく「若さ」や「生命力」といった、体内にある環境を新陳代謝しながら「保つ力」です。水(おねしょや夜尿)や骨(骨粗鬆症)、肉(下肢の力)といった物質的なもの以外にも、記憶力や、冷え・ほてりなどの熱の管理も、尿や汗の排泄によって調整しています。
こころは陽トロピーを欲する
エントロピーという物理学の概念は物質界の話です。物質的な「からだ」が生き続けるためには、「陽トロピー増大の法則」があるため、生きていくのには「陰トロピー」な生命活動を必要とします。これに対して、非物質的な「こころ」には「陰トロピー増大の法則」があります。つまり、「こころ」は放っておくと、すぐにさまざまなものごとを、自分の中で整理・整頓して監視をし、不安のない状態にしようとしてしまう法則があります。これは社会性動物との宿命でもありますが、心の陰トロピーが高すぎると、心は不安に囚われてしまい、ひたすら安定を求め続けるこころの「死」を迎えてしまいます。そのため「こころ」が生き続けるためには、「陽トロピー」を必要とします。
とある記者が、ダライ・ラマ14世に、現代人を見て思うことはどんなことですか?と聞いたときに、「未来の不安のために、現在を犠牲にして働いてお金を貯めて、仕事が終わったころに病気になって、過去への後悔の中で貯めてきたお金を使い果たして死んでいく。このような人生では、常に現在を生きていないので、真に生きているとは言えない。」というようなことを言っていました。(すみません、随分前に英語の記事で読んだことで、どのインタビューだったか、出典は見つかりませんでした。)これは三世の法と同じです。
他者との共同作業ということは、心身共に陰トロピーな活動であり、社会性動物として社会生活をしていると、「こころ」も「からだ」も陰トロピーを高め、「気(=ポテンシャル:仕事をする潜在能力)を高めて、仕事をしていきます。特に「こころ」は、さまざまなものに束縛され、恐怖や不安という「陰トロピー」な感情が増大しやすくなります。すると、未来への不安と過去への後悔に意識が向きすぎ、現在を懸命に生きられないという「こころの死」へと向かってしまうのです。そのような社会生活において、「こころ」は自由に解放される「陽トロピー」な時間を求めるのです。
陽トロピーが高くなると、「こころ」が動き出し、発想や想像力といった「ひらめき(霊性)」への感度が高くなり、「こころ」のポテンシャルが高くなり動き出すのです。ただし「こころ」の陰トロピーも、人間を社会生活に繋ぎ止めるという大切な働きをします。陰陽の法則というものは、どちらが「良い悪い」ではなく、常に揺れ動くそのバランスの考え方なのです。
忙しいとき、ひとのこころは「べき・ねば」という陰トロピーを増大させて、からだの「気」を高めて仕事をしますが、こころの陽トロピーが低くなり、発想力や想像力、あるいは感動といった感情を起こす力が弱まります。例えば、「感動」という陽トロピーが大きいほど、すぐには「ことば」や「情報」という秩序だった「陰トロピー」な精神活動がエネルギーバランスの関係で起こりにくくなります。そこで、「陰トロピー」な活動をしているときも、「こころ」を解放できるようになるためには、練習や準備という段階を経て、仕事中の「べき・ねば」という陰トロピーが低くなるように鍛錬していくと、プロになり、その仕事の中で「陽トロピー」な「こころ」のまま、仕事ができるようになるのです。瞑想や禅、ヨーガなども、こころの止滅、あるがままの陽トロピーな状態を取り戻すための精神活動です。
陰トロピー |
陽トロピー(=エントロピー増大) |
秩序・収縮・新鮮(呼吸・食事) からだ(ポテンシャル↑・気↑) 見えるもの 純度の高いもの(精製食品・化学薬品) 人工的・機械的・目的を持った行為 整理・整頓・きちんと ロゴス(見えるもの) 監視・保障 |
無秩序・拡散・発酵・腐敗 こころ(インスピレーション↑・ひらめき↑) 見えないもの 純度の低いもの(自然食品・漢方薬) 自然のまま・あるがまま 混沌・煩雑・でたらめ ピュシス(見えないもの) 信頼・愛 |
からだの陰トロピーがポテンシャル(=仕事を可能にする潜在能力)を高めるのに対し、
こころの陽トロピーはインスピレーション(=ひらめき)を高める。
*どちらが良い悪いでなく「バランス」が重要。
人間は「からだ」と「こころ」の陰陽トロピー
人間という生命は、真逆の陰陽を持つ「からだ」と「こころ」のバランスを調整しながら生きています。「こころ」というものが、目に見えない「陽の世界」だとすると、「からだ」という目に見える「陰の世界」であり、そのバランスによって人間は成り立っています。
ブッタは「生老病死」が人間の苦悩であると言いました。「からだ」という物質的な特性を持っている限り、「からだ」は陰トロピーを必要とします。ところが、「こころ」は陽トロピーを必要としている。あるがまま、目的を持たない「むだ」な行為は、こころの陽トロピーを増大させ、社会不安などの「こころ」の陰トロピーを緩和するのです。 「自然に任せて偶然出てきた音が一番」と言ったのは、天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスです。運動会などで、ゴールの瞬間を写真やカメラにおさめることも、陰トロピーな活動のため、その時点での陽トロピーは増大しにくくなりますが、その後にちゃんと見返す時間が持てるのであれば、そのイベント自体のポテンシャル(仕事をする潜在能力)は、増大させることができます。ただし、その一方で、その記憶は固定されてしまい、その記憶としての陽トロピーは減少する。つまり、記録されていることによって、その記憶がどんどんと美化されていくというような記憶の陽トロピーは減少してしまうのです。大切なものや瞬間が、記録できていないことが多いのは、そうした「からだ」と「こころ」の陰陽トロピーが関係しています。
目的を持つ行為が得るもの・失うもの
目的をもつということは、ものごとを秩序だて、目に見える形にする陰トロピーな精神活動です。むだな行為は陽トロピーが高く、自由な発想や想像力を生み出し、陰に傾きすぎたこころのバランスを整えてくれるのです。不安や監視という目に見えるものに固執する「陰トロピー」な精神活動が、過剰に強まっているコロナ禍のいまを生きていくためには、アートによるこころの「陽トロピー」によってバランスを整えることのできる能力が大切なのです。
次回からは、この「陰陽トロピー」の中で、食事や薬、アートの関係について、考えていきたいと思います。
<注釈>
エントロピー:『無秩序な状態の度合い』を数値で表すもの。無秩序な状態ほどエントロピーは高く、整然として秩序の保たれている状態ほどエントロピーは低い。すべての事物は、「自然のままにほっておくと、そのエントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えてやらない限り、そのエントロピーを減らすことはできない」。これを『エントロピー増大の法則』という。
物質界の「からだ」は、物質が無秩序になっていく「陽トロピー」な法則を、呼吸や食事などの「陰トロピー」な生命活動によってバランスを調整している。陰トロピーが高まると、からだを動かすポテンシャル(=仕事をする潜在能力)が高まり、それを「気」と呼ぶ。
一方の「こころ」は、社会生活による不安や恐怖というこころを収縮させる「陰トロピー」が増大しやすく、楽しいことや感動するという「陽トロピー」な精神活動によってバランスを調整している。陽トロピーが高まると、こころを動かすポテンシャルが高まり、想像力や発想力が湧き起こる。
陽トロピー:自然のあるがままにすることで増大していく状態のエネルギーのこと。万物のエントロピーが増大する状態、拡散・分解・老朽・無秩序・でたらめ・ぐちゃぐちゃになっていくエネルギーのことを指す。陽トロピーが増大すると、その物質のポテンシャル(仕事をする潜在能力=「気」)は減少するが、非物質のポテンシャルは増大する。
陰トロピー:自然の物理法則に争い、収縮・整頓・精製・高純度・新鮮などの状態のエネルギーを指す。陰トロピーが増大すると、そのポテンシャル(仕事をする潜在能力)は増大する。陰トロピーとは、「からだ」にとっての生きるためのエネルギーだが、「こころ」にとっては、恐怖や不安というこころの緊張を招くエネルギーでもある。